中国文明と馬

中国人は無意識のうちに、または感覚的に、馬に対して不思議な魅力やパワーを感じてきた。

その具体例は、過去から現在にいたる芸術の世界にも表れている。また、人類の歴史においては、野生の馬を飼い馴らすことがしばしば重要なテーマとなった。

中 国の北方で活躍する遊牧民族の祖先たちは、馬と龍とを同一視する傾向があり、それが馬を神聖視する観念に結び付いた。また、古代中国では、馬は陰陽思想に おける陽気(活力)に富んだ動物であることから、死者を甦らせる力があるとみなされ、葬儀の際に生贄として馬が供えられることもあった。

太 古の時代には、多数の馬だけでなく、生きた人間までもが生贄として供えられることもあった。紀元前384年、秦の王は、葬儀の際に生きた人間や動物を生贄 とすることを廃止し、代わりにその彫像や塑像を副葬品として供える制度を導入した。これは中国文明史上における大きな転換点である。それから約100年 後、馬の副葬品は斬新な芸術として古代中国の舞台に登場する。秦の始皇帝(中国初の皇帝)の陵墓の周辺に、膨大な数の兵馬俑が埋められたのだ。これは世 界の彫塑の歴史において、空前絶後の出来事であった。

1970年代、一連の発掘調査を経て、1000体以上もの秦の始皇帝の兵馬俑が出土 した。そのスケールの大きさは、まるでひとつの戦場を再現しているようだった。等身大につくられた兵士や馬を副葬品とするのは世界的に見ても例がなく、奇 跡的かつ、きわめて貴重な発見として注目された。

「天馬」とは、文字どおり天上界に存在する馬のことを意味する。漢代の人々は、天上界を 支配する上天(神に相当)は全知全能の存在であり、人々の意識や情緒、感覚までも司ると考えていた。漢の武帝が自分の愛馬を「天馬」と名付けたのは、全知 全能たる天の力を馬に授けたかったからに違いない。天馬の神秘的な魅了やパワーは、中国の芸術作品の題材としてもしばしば取り上げられている。

清 朝の康熙帝(1661~1722年)は、西洋のバロック様式の絵画を好んだ。ナポリ出身のイタリア人宣教師、カスティリオーネ(郎世寧、 1688~1766年)は、画家、建築家としてもその名を知られ、康熙帝に気に入られて清朝の宮廷画家となった。カスティリオーネが40代のとき、早期の 傑作である「百駿図」(1728年)を完成させるが、この絵画には、馬たちの姿がまるで生きているかのようにリアルに描かれている。カスティリオーネの絵 画は、正確な遠近法を用い、写実的で、背景をきめ細かく描く点などに特徴がある。

「百駿図」に描かれている馬たちは、その姿や表情、体の 向き、動作などがそれぞれ異なる。遊んでいる馬もいれば、水を飲んでいる馬もいる。カスティリオーネはこの絵を、絹の巻紙の上にスケッチを転写し、さらに 中国独自の工筆技術(明るい色遣いで緻密に描く技法)を用いて濃淡のある仕上がりを実現している。馬の体の部分に明るい色を載せ、立体的に描いているのも 特徴だ。カスティリオーネの功績は、中国の伝統美術に初めて写実的な技法を融合させた点にあるといえるだろう。

20世紀の中国でもっと も著名な画家であった徐悲鴻は、日本とフランスで美術を学んだ。幼少のころから馬を描くのを好んだ徐は、その生涯にわたって、政治的目的ではなく、あくま で自分の楽しみのために馬の絵を描き続けた。徐悲鴻が描く馬は、どれも上品で洗練された雰囲気を漂わせ、まるで生きているかのように写実的である。徐の絵 に描かれた馬たちの自由奔放な姿を見れば、中華民族なら誰もが感動を覚えることだろう。

馬を題材にした中国絵画を見ていると、大自然や人類、そして馬たちが、中国文明の発展とともに、多様で複雑な関係を形成してきたことを感じずにはいられない。そこには、中華民族の数千年に及ぶ歴史が凝縮されており、その意味でも非常に感慨深い。

 




 
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